akamano’s diary

はてなダイアリーから引っ越した放置ブログです

【とりあえず】第17回パリ〜ブレスト〜パリ・ランドヌール(PBP)完走しました

決して楽ではなかったが、大きなトラブルもなく、念願のPBP完走を果たす事が出来た。詳しく思い出して写真も貼ると時間がかかりそうなので、とりあえず概略報告だけ。

最初の140km区間でろくに補給しないまま負荷をかけて走ってしまったのと、最初の補給地点(モルターニュ・オー・ペルシュ)で勝手が分からずウロウロして時間を浪費してしまったのでいきなり躓き、以後ずっと眠気と制限時間に縛られて走る事となり、かつて無く厳しいブルベとなってしまった。(距離的にももちろん未体験なのだが)

正直、スタート後たった140kmのモルターニュ・オー・ペルシュを出発する時点で、疲れと眠気で、「こりゃ、あと1000km以上を時間内で走るなんて無理かもしれない」と思っていた。取り返しの付かない失敗をしてしまった、と思った。それでも、スタート地点でクリートをはめるまで来たのだから、この旅をこんなところで終わらせたくないとも思った。せめてブレストの街を拝んでから帰ろうと。

往路のルディアック前では雷鳴とどろく豪雨の中を走行、ルディアックではシャワーを浴びて30分だけ仮眠できたが、結局まともに寝られたのはこれだけだった。中部1000kmの反省から、とにかく仮眠する時間は確保しようと思っていたのに、全然実践できなかった。

天候の回復した三日目の昼はフランスの丘陵地帯の風景や田舎町、沿道のあれこれを楽しむ余裕も多少出来た。他の人のようにカフェに入って食事をする余裕はなかったが、眠気をどうにかするために道端で数分程度の仮眠を何回か取った。古い町並みを通り、沿道で応援している人からお菓子や水をもらったりもした。ちょっとだけだけど、本来のシクロツーリズムの楽しみを味わえた気がした。

しかしやはり時間的には厳しく、後半の夜間走行はいまだかつて無い暗夜行路となった。正直言って、そのときの自分の状態を今から思い出して書くことは難しいのではないかという気がする。フランスを自転車で走るのは初めての経験のハズなのに、いつだかかつてこんな苦しい経験をしたことがあって、それと同じことを今やっている、なんだこれは永劫回帰というやつなのか、というような経験だった。幻覚幻聴も見えはしたが、そういうレベルではなかった。

最後の夜は特に厳しかった。GPSが無かったら間違いなくとんでもない方向に走って途方に暮れたままタイムアウトしていたと思う。なにしろ、自分が何をしているのかサッパリ分からず、道をどっちに進んだらいいのかも分からない状態で路上をウロウロしていたのだ。通りがかりの外人の参加者に「なにやってんだ危ないぞ!」と怒鳴られなければ正気に返れなかった。とにかく、GPSに表示させておいた「目的地までの残り距離」を減らす事だけを考えろ、それだけやってればいい、と自分に言い聞かせなければならなかった。

頭が朦朧とした状態ながらも時間に追われて必死に走っていた最後の明け方、30km/hで飛ばしていたはずなのに、フッと気がつくと景色がまるで変わっていた。速度も20km/h程度に落ちている。既に周囲は明るいのに、まるで瞬間移動を経験したかのようだった。

それでも、居眠り落車しなかったのは幸運というほかない。回りは当然ながら外国人ばかりなのだが、アメリカ人には真っ暗闇の山岳の中、話し相手になってもらって助けてもらったし、イタリア人には一緒に列車に入れてもらって先頭交代して登りのペースを上げられた。みんな同じ苦しみを味わっているランドヌールなんだと実感した。

また、PCなどで知り合いの日本人の方々と会って話をするのも当然ながら励みになった。特に[twitter:@micron_goo]さん夫妻には固形物が食えなくて往生していた最初のモルターニュ・オー・ペルシュでヨーグルトを恵んでいただいたり、往路のブレスト前で死にそうな顔をしていたらしく心配していただいて、会った場所で暫く仮眠したり、大変お世話になった。twitterを時々見て、応援してくれる方々のメッセージにも勇気づけられた。特に後半はPCで一言ツイートする余裕すら無くしてしまったが……

途中、酷い交通事故も見てしまった。ついさっき自分を追い抜いていった集団の一人が大型トラックに体の半分を轢かれていた。事故の瞬間を見たわけではないが救急車も来る前でありかなりショッキングだった。集団が自分を抜くとき、最後の一人がHello!と声をかけていったのだが、もし轢かれていたのがその一人だったとしたら、と考えると胸がはりさけそうだった。その場を通過した参加者は一旦停止して一様に悲痛な表情をし、それでも前に進むことを選んだ。自分は命を賭けてこのイベントに参加していることを実感した。

最後の区間は日も照っているというのに瞬間的な意識の欠如、いわゆるマイクロスリープが数分おきにやってきた。ちょっとでも気を抜くと手から力がガクッと抜ける。今年の宇都宮600kmではこれで親指を痛めてしまっている。途中2回、道端で寝てみたのだがもはやその程度で回復するレベルではなかった。残り距離と時間を勘案し、これ以上眠ることは許されないという状態で走らざるを得なかった。タイムアウトまでは20分、一回でもパンクしたらもう終わり。

そんな感じだったので、ゴールしたときは時計と計測センサーの場所だけが気になって、完走したらやろうと思っていたガッツポーズもできなかった。それでも、ゴール地点は凄い数の人に迎えられ、ちらっと目があった(多分フランス人の)オッサンがニヤッと笑ってくれたのが印象に残った。

ゴール後にtwitterを見てみたら、多くの人から応援・祝福のメッセージがあり、自分が人生の大きな舞台(長渕剛風)に立っているのだなあ、と実感した(個別のお礼が遅れており申し訳ありません)。終了後の懇親会では、PBPを走って感じた日本のブルベとの違いや自転車文化などについて、大いに語り合うことが出来て本当に良かった。(そのとき自分としてはわりといいことを[twitter:@hayavusa]さんとかと話していたような気がするのだが、残念ながら正確には思い出せない)

その他、フランス渡航前後に色々情報交換や行動を共にして下さった[twitter:@eijitom]さん、[twitter:@vyv00411]さん、[twitter:@take0204]さん、[twitter:@terrawell]さん、S谷さん、他多数のブルベ仲間や休暇中仕事を任せられた会社の仲間、そしてAJスタッフのおかげで今回の完走が得られた。まずは取り急ぎ感謝の意を表させて頂きます。